死後の世界を突きとめた量子力学

  • 2012.03.23 Friday
  • 15:31
転載させていただきます。
ありがとうございます♪( ´θ`)ノ

 仏教と最先端科学・量子力学との共通点  


  それはともかく、量子力学と仏教の共通点の多いことには改めて驚く。
  まず量子力学でいう、一個の素粒子が宇宙の隅々に時間も超越して非局所的に広がっているという事実を、どう仏教は説いているのだろう?
  仏教では、宇宙(時間と空間)のいたるところに無数の仏が存在するとしている。宇宙は仏で充満しており、自己の内にも、宇宙空間のあらゆる場所に仏は連座していると説いている。このように宇宙の本質そのものを仏とするのが仏教の基本的な考え方で、その頂点に位置するのが大日如来である。
  これは、一個の素粒子が宇宙の隅々に非局所的に広がっているという量子力学の結論と非常に似通った考え方といえるだろう。
  仏教徒の目標となる「悟り」の要点には、三法印(さんぽういん)というものがある。
  一は「諸行無常」といわれるもので、時間・空間的にどんな事物も不動のものはなく、必ず生滅・変化するものである。
  二は「諸法無我」といい、空間・時間的にすべての事物は互いに関連し合いながら存在していると教えている。
  三は「涅槃寂静」で、変化して止まない自己や万物を固定視し(我見)、それに執着すること(煩悩)を止めれば、平安な悟りの境地(涅槃)が到来するというものである。
  この三法印を存在論的に見れば、独立して固定された自我というものはないし、宇宙のあらゆる存在は本源的な実体はなく、そこには生滅を支配する厳密なカルマだけが在るとしている。これは量子力学が到達した「宇宙の法則」そのものといえるだろう。
 では「自己の意識が現実を創造し、客観的な事物は存在しない」という結論はどうだろう。
  洋の東西を問わず、宗教の中心に存在するのは「愛」である。だが、仏教における「愛」の本質とは他人への愛ではない。あくまでも自己を中心とした「自己愛」なのである。
  代表的な経典である『法句経』では、「愛より憂いを生じ、愛より畏れを生ず、愛を離れたる人に憂いなし、何れの処にか畏れあらん」とある。つまり「人を愛するから憂いが生じるので、愛を離れれば憂いはなくなる」と教えている。
  このように、仏教では外部の客体物にこだわることを徹底して嫌い、自己を見据えることのみを重視して、外部客体への関わり合いとなる他人への「愛」を真っ向から否定しているのである。
  自己の意識が創り上げた客体物に関わり合っても何の意味もないからで、「人の意識が現実を創造し、客観的な事物は存在しない」という量子力学の結論と相通じるように思えるがどうであろう。
  釈迦の有名な「天上天下、唯我独尊」(この世は自分のみの存在)も同じ意味であろう。
キリスト教も仏教と
 キリスト教も仏教と同じことを述べている   [TOP]

  仏教が「自己愛」のみといえば、隣人愛を強調するキリスト教と真っ向から対立するように思えるだろう。
  たしかに、キリスト教は、神とキリスト(復活したイエス)への信仰を中心に、神と隣人への愛を信仰のポイントとしている。
  仏教は、一切を無常・無我(空)と見て、その悟りの上に立って人への渇愛を消滅させることを第一義と見なしているので、一見すると正反対のように見える。
  しかし、深く掘り下げてみると、両者は結論的に同じことを述べていることが分かる。
  仏教では「空」を宇宙のすべてとするが、そうなら自分を含めたすべてのものは同じ空の産物で、自分と同一の存在体となる。そのように見れば、すべての事物(他人)も自分を愛するように愛することが出来ると説いているわけである。
  それゆえに仏教の大元である『大日経』では、宇宙の本体と自分を同一化させて、「大我」としてとらえることによって、それを肉体に限定された「小我」と対比させることによって自己に執着せず、「大我」に生きることが出来るというのである。
  次の教えは、もっと具体的である。
  仏教では「三界(現世)は唯心の所現」と表現し、この世の事象すべては『仮相の世界』だと教えている。
  つまり、この世の一切の現象は自分の心が作り出した「仮相の世界」で、自己の想念を変えることによって世の中(仮相の世界)の事象はいくらでも変えることができると教えているのである。これは量子力学でいう「人の意識が現実を創造し、客観的な事物は存在しない」という結論そのものといえる。
  いま大きな注目を集めているバーチャル・リアリティーという視聴覚メカも日本では「仮想現実」と訳しているが、仏教でいう『仮相の世界』も同じ表現を使っている。すなわち仏教でいう「この世」の仕組み(三界は唯心の所現で「仮相の世界」)と、現代のバーチャル・リアリティーも同じ意味となってくるわけである。
人間は人に
 人間は人になりきれない中間的な存在   [TOP]

  イギリスの有名な思想家のC・ハンフレーズは、『ブッディズム(仏教)』という著書で次のように述べている。
  「一応の吟味によれば、仏教は宗教というより、むしろ精神の哲学であり、生命に対する態度は近代科学のように冷静で、かつ客観的である。それにもかかわらず仏教は生きている。驚くほど生命に満ちている
  同じことを、イエス・キリストも言っている。
  「この世は私たちの潜在意識で思っていることが世界に反映したものであり、人間の想念が造り出した世界である」と。
  イエスは「潜在意識」という表現を用いているが、すでに古代インドの哲学思想である『八識論』は、潜在意識に基づいた思念エネルギーの存在を明らかにしている。
  『八識論』は人間の意識構造を理論的に解説したもので、心というものが表層意識から深層意識までの八層から成り立っていると教えている。
  最初の意識(五識)とは人の五感に基づいた知覚(意識)で、次の第六識は「理性」を指し、この六つを合わせて「表層意識」という。これはわれわれの感覚作用に連なって生じている、通常いう「意識する心」というものである。
  いささか趣を異にするのが、第七識と第八識である。
  第七識は本能や宿業的な心といわれるもので、表面には出てこない無意識の隠れた「本性」を指し、「マナ識」とも呼ばれる。これが現代心理学でいう「潜在意識」と呼ばれるものである。
  このマナ識は「火事場の馬鹿力」のたとえのように、環境にさえ適応すれば無意識のうちに直接的な現象として具現されてくる。その意味では恐るべきパワーといえるかもしれないが、意識して活用できないのが難点である。しかし、ユリ・ゲラーのように「自信」として活用すれば、巷間いわれる超能力パワーとして発揮されるわけである。
  それ以上の深層に存在する第八識が「アラヤ識」と呼ばれるものだという。
  これは第七識の「マナ識」を超える能力なので、人が意識して使えたら神のごときパワーを発揮できるだろう。しかし、通常の人には、まったく無縁の意識作用といえる。
  この「アラヤ識」は通常の人間は眠ったままの状態、というより完全にロック・アウトされた状態におかれている。脳医学の見地からも人間の脳は九割以上も未使用のままで置かれているというが、これはダーウィン進化論(環境に適応して進化する)と完全に逆行する事実ともいえる。理由は不明だが、人の脳機能はパワーが全開されないように大部分が堅く封印されているわけである。人を「人間」と書くが、われわれは人になり切れない中間的な存在なのかもしれない、そこらに「この世」と人類の秘密があるのだろう。
  新約聖書では、次のように述べている。
 「あなたがたに奥義を伝えよう。わたしたちすべては眠りつづけるのではない。終わりのラッパの響きと共に、またたくまに、一瞬のうちに変えられる。この時、聖書に書いてあるすべての言葉が成就する」(コリント人への手紙1、15章1節〜)

  ここでは閉じられた脳が、未来のある瞬間に全開されるらしいことを述べている。聖書では「その時、あなた方はサナギが蝶に変わるようにして神の国に入る」と述べているが、それが聖書でシツコク説いている「人間の終末」と私は解釈している。
人間は輪廻
 人は輪廻の束縛から脱して「悟りの世界」に入る   [TOP]

  聖書はともかく、量子力学と仏教の接点に戻ろう。
  仏教の根本的な思想は「輪廻」すなわち人の生まれ変わりで、どんな人間も輪廻という循環から脱出できないと説いている。そこでは車輪が回転するように、人は死ぬと、天人・人間・動物・地獄の生き物のいずれかに再生して、永遠に輪廻の転生を続けるという。
  輪廻から抜け出ていない状態では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の間をぐるぐると輪廻する。六道では、人間の煩悩の根元は、怒り・貪欲・愚痴で、この三つに対応してくるのが地獄・餓鬼・畜生という。
  修羅は、人間の利己心が角突き合いする争いの世界である。その上に普通の人間の状態の人間界があり、最後には輪廻の世界では最上の天上界がある。しかし、天上界も永遠の世界ではなく、気ままや高ぶりによって地獄、餓鬼、畜生界に転生するという。
  六道の上に、この輪廻の世界を超えた悟りの世界、声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖道があるという。以上を合わせて十界という。
  仏教の理想とするのは輪廻世界からの脱出で、それを「解脱」という。そこでやっと輪廻の束縛から脱して、「悟りの世界」に入ることができるのだと教えている。

  そして量子力学は世紀末にいたって「祈り」が単なる宗教上の儀式でなく、「現実を創造し、願望を実現する」ことを物理的に明確に証明したのである。
  科学として実証されたら、それを人生に活用しない手はない。
  みなさんは「奇跡のパワー」という言葉を聞かれたことがあろう。日本語にも元気、病気、気分、気質、気が合わない、などといいうように「気」という文字が頻繁に使われるが、このようにわれわれは無意識に「気のパワー(気力)」の存在を認めてきた。
  その代表が「気功」といわれるもので、中国では古くから正統医療として認められており、いまでは欧米の病院でも使われ始めてきている。
  ユリ・ゲラーに代表されるスプーン曲げも現代科学ではメカニズムが不明なので排斥されがちだが、何らかの気のパワーが存在することが実験でも報告されている。アメリカのスタンフォード研究所で1972年に5週間にわたって行なった実験で、その結果はイギリスの有名な科学雑誌「ネイチャー」に掲載されたが、科学的に説明不可能な現象が確かに起こっており、ゲラー効果は科学的研究の立派な対象たるものであると結論している。(『宇宙からの帰還』立花隆著、292ページ参照)
  『気のパワー』を悪用したものにブラック魔術に代表される呪術もあるが、人間の持つ思念パワーを現実へと顕在化させる意味では同じであろう。しかし、「人を呪わば穴二つ」と言われるように反作用も大なので絶対にやってはいけないといわれている。
  アメリカで医者に見せられたビデオに、プードゥー教の呪いをかけられた中年女性の体内から針が徐々に発生するというものがあった。レントゲン写真を見ると内臓を避けて小さな針が発生し、皮膚に近づくにつれて徐々に大きく成長し、それが皮膚から出てくるのを週に1回ずつ医者に抜いてもらうのだという。皮膚から抜き取った針には糸を通す穴まで有ったのには驚いた。こうした現象の前には、どんな名医もお手上げである。
願望実現
 願望実現のための祈りのノウハウ   [TOP]

  謝世輝という人の著した『願望実現・祈り方の超秘訣』(徳間書店刊)という本がある。著者は名古屋大学で原子物理学を専攻し、理学博士号を取得。その後は東海大学に就任とある。そこで述べられている「祈り」のノウハウを要約するので、ご参考にされたい。(カッコ内は著者註)

  「神は自分の身近にいる親しき存在」と自覚して祈ってこそ効果が期待できる。(まず神の存在を信じること。それでこそ祈りの効果が生じてくるというわけである)

  祈りとは、常識では説明しがたい超自然現象と思える劇的な変化が肉体または種々の現象として起こることを示す。あなたの今の考え方が、あなたの未来を創り出していく。良いことを思えば良いことが起きる。悪いことを思えば悪いことが起きる。(量子力学でいう「意識が現実を創造する」と同じ概念である)

  身近な願望の実現を祈る。その願望は「情熱」、「信念」、「時間」をかけた総和によって実現する。はじめは信念が弱くても不安に思うことはない。何回も繰り返し思うことで、願望は実現へつ近づいていく。(思念パワーの強化である)

  祈りは宗教という固定観念を捨て去って、見えざる巨大な存在と真理を見据え「自分の願望を叶えるための手段」と割り切ることが大切である。(祈りは宗教的な手法だったので一般には抵抗感もあったろうが、科学でパワーが実証されたと思えば素直に実行できると思う)

  祈りで大切なことは、私心を捨て、寛大な精神で自分だけではなく、人々の幸福も願う気持ちを養うこと。人を不幸にする祈り(呪術など)は、必ず反作用を生む。極端にいえば、人を憎まず、許し、愛するように心がける。「人を呪わば穴二つ」を忘れてはならない。

  「わが内に神がある」ことを信じて、次のように熱心に祈るがよい。情熱・信念・忍耐そして全託が運命を変える。

  1.燃えるような情熱。
  2.いかなる艱難辛苦に見舞われようとも、オレは必ず突破して見せる、やり抜くという願
   望達成に向けての強い気持ちと信念を維持し続けること。
  3.耐え忍ぶ時間が必要である。人によっては悪条件が重なり合って、状況が悪化するこ
   ともあるが、これは過去の悪いことを清算するためのケミカライゼーション(自壊作用)
   なので心配いらない。古い建物を壊して、新しい建物を建てるようなものである。


 図形化瞑想の効用。

  願望が叶った時のシーンを、ありありと頭の中に描くとパワー(実現の効果)が増幅する。

  ピンチこそチャンス、夜の後には朝が来る。冬の後には春が来る。他人の幸せを心から祈ると同時に、時には愛や知恵を授けてあげること。神は、愛と慈悲に満ちている。

  といったようなノウハウが述べられているが、量子力学の結論に照らしても矛盾はないといえる。
  参考までに、私が実践している祈りの要点も述べておこう。
  まず基本的なことだが、祈りのパワーの存在を素直に信じることが肝要である。効果を疑ったり、バカバカしいという気持ちが少しでもあると効果は生じない。
  時間や回数は人それぞれで良いだろうが、私は1日に1回、30分ぐらい行なっている。
  (中略)
  基本的な点は謝先生と同じだが、私は次の点を心掛けて祈っている。

 今という瞬間が、もっとも幸せと思って神に感謝する。

  ご多分にもれず、私も若い頃は先(未来)ばかり見て、年を経ると逆に過去を悔い煩って、あまり現在という瞬間を直視しなかった。
  10年ほど前、公園で木や草花が風にそよぐのを眺めていたとき、その光景に二度と目に触れることはないと思うと、その一瞬一瞬がとても愛おしく見えてきた。
  今という瞬間は誰にも二度と還って来ない。そう思えば現在という瞬間は何て素晴らしく、そこに自分が在る幸せを心から神に感謝する。そう思って周囲を眺めれば、見慣れた光景でも何と新鮮で美しく感じられることだろう。そう思うことによって「この世」というパーチャル・リアリティーの良き未来も選択できるし、運命も好転していくと思うのである。

 過去を思い煩うな!

  殺したいほど憎んでいる人物が、誰でも5人はいるという。たしかに人生には嫌な思い出や、特定の人物への恨みや憎しみは誰にもあるだろう。しかし、考えていただきたい。それら事象のすべては、あなたの意識と行動が創りだしたもので、あなたという存在が「この世」になかったら、そうした現象も起こらなかったのである。
  何度も言うようだが、量子力学の結論はもっと強烈であり、過去は自分の意識が創りだした幻で、実在しなかったというのである。動揺の「あかとんぼ」の歌詞にある「小カゴに摘んだは幻か!」で、過去の思い出もあなたの意識の中にしか存在しないのである。
  眠って見る夢は自己の潜在意識が生じたものだというが、夢の中で自分を殴った人を、目が覚め憎んでも、幻ゆえに時間の浪費というものだろう。
  過去も同じだと量子力学はいう。だから嫌な思い出も、殺したいほど憎んでいる人も自分の意識が創り上げてきた幻影ゆえ、きれいさっぱりと忘れた方がよい。憎しみによって復讐しても自己の意識が創りだしたバーチャルのワンシーンであり、結果は自分の魂に大きな傷として刻印され「あの世」への荷物(前科)として持っていくだけである。
  時の流れは常に移ろい過ぎて、けっして止まらない。過去の思い出も夢の中の幻と同じで、どうあがいても現実には存在しないのである。だから、今という瞬間を直視して、来るべき未来への希望を至高の存在へ向けて全託すべきである。

 自分の意識が「世界を創造する」

 「世界は二人のために」という詩があったが、自分のために世界はあって太陽が回っている、「自分の意識が世界を創造している」ぐらいの大きな気持ちを持って祈れという意味である。
  古典科学の立場ではバカバカしいと一笑に付されようが、量子力学は事実であると証明したのである。それがどんなに常識から反していても、そのように「この世」の仕組みがなっているから素直に受け入れなさいと宣言しているのである。この世も、太陽も宇宙も、自分の意識が創りだしている想念の世界なのだと。
  これは、まことに地面が崩れ去るような幻想的なことであるが、素晴らしいことをわれわれに示唆している。
  自己の不運や不幸せを嘆く人も多いが、すべては自分の想念が創り上げてきたことで、他人も客体も一切関与しないと言っているのである。それぞれの本性に基づいた想念が自己の運命を創り上げているわけで、きっと皆さんも思い当たることが多いはずである。

 「死後の世界」を信じること。

  瞑想中に「この世」を去った親しき人の面影を、脳裏に描いて語りかける。すると向こうでも何かを語りかけてくるし、霊界の実在を心から信じられるようになる。

 「閃き」は神のささやきである。

  人は誰でも、ある種の「閃き」を覚えたことがあろう。それは自分の脳が生み出したのではなく、だいたいが至高の存在によって与えられたものなのである。「閃き」こそ神のささやきで、瞑想による思念エネルギーの集中によって啓示を求めれば、内なる神は必ずや多くの啓示を与えるであろう。

  いい足りない面もあるが、以上をご参考にしていただければ「祈り」の効果も増幅され、皆さんの運命も必ずや好転すると思う。それによって「この世」という「修羅の世界」も仏教でいう「人間界」に近づいて、少しは良い世の中になろうというわけである。
「この世」に
 「この世」にわれわれが在る必然性とは?   [TOP]

  丹波哲郎さんは自著で「死後の世界」を信ずることで多くの煩悩がなくなり、心の安定が得られるようになったと述べている。この意味と量子力学の「意識が現実を創造する」を併せて考えると、ある不気味なことが示唆されてくる。
  たとえばUFOを信じている人には、そうした世界が顕在化され、信じない人には存在しない世界が開けてくるわけである。
  同じように「死後の世界」を信じてきた人には死後に「霊界」は顕在化されてくるが、信じなかった人には何も存在しなくなる可能性も出てくるわけである。もし顕在化されても、本来の霊質より下層霊界へ行く可能性も高くなるわけである。何故かといえば、現世の生き方によって、死後どのような霊界に行くかが決定されるからである。
  スウェデンポルグは、キリスト教徒のみが救われるというのは間違いで、神はどんな宗教の人も救われるように配慮されているという。
  どんな宗教にも「救いの本質」に関する二大原則があり、それは自己の内部を点検し「神を認めること」、「神に反する悪を行なわないこと」だという。この二大原則を守ってきた人は死後に天使によって教えを受け、その結果として天国に迎えられて救われるという。
  仏教も次のように教えている。
  善い行為には善い結果としての報いが、悪い行為には悪い結果としての報いが「因果の法則」によって生じる。自業自得で地獄に行くはめになっても、それは本来の道を外れて自己本位にわがままに生きたことに対する必然的な報いであり、地獄界での苦しみから何かを悟らねばならないという一つの教育課程である。そこで過ちを悔い改めれば、地上の人間を善の方向から助けることによって霊的に成長する機会が与えられる。これが輪廻という現象であると。
  神を認めることは「死後の世界」(霊界)の存在を信じることであり、死後の世界を信じていない人は、神の存在も認めていないわけである。こうした人が上位の霊界に行けないのは必然的となろう。

 (中略)                [TOP]

  スウェデンポルグがいうように、天国も地獄も自己の本性が求め創りだしているもので、「この世は天国」と思って過ごせば事実そうなるのである。
 「地上の万物は霊界の投影であり、型に過ぎない。霊界には地上にある一切のものが、不完全を取り去られた美しさをもって存在する。山も川も草木、獣にあたるものみなが存在し、地上に比類のない遙かに多くの物があって一切が調和し、何ものにもさえぎられず神の栄光を現している」と述べている。
  仏教では現世を「苦界」「憂き世」というが、釈迦も現世のすべての行為を苦とは説いていない。逆に、どのような行為や思いが苦を生じるのかをはっきりと悟った上で、苦を生ぜず、自他に平安をもたらす行為を大いに奨励している。
  こう見ると、この世はあらゆる霊界層から何らかの業(罪)を背負って来た人たちの大集合体ともいえる。死後に各レベル層の霊界に帰って行くことは、逆に各レベル層の霊界から「現世」に入って来ている(生まれてきた)ことでもある。もちろん私も同じ立場だが、最近は人と話すと、どんな霊界層から来たのか分かるようになってきた。
  スウェデンポルグは「霊界へ来ると、地上でどういう肩書きをもっていたかは問題にされません。評価されるのはただ一つ、地上において内部の霊性をどのくらい発揮できたかです」と述べている。
富める者
 「富める者が神の国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」  [TOP]

  次の文を、どう思われるだろう?

  日本は空前の繁栄に酔っているが、近い将来『船上の金のやりとり』ということわざ通りになるだろう。いくら儲かったと喜んでいても、船そのものが沈没しては何にもならないからである。波動とは振幅が大きいほど奈落の度合いもすさまじい。
  美空ひばりが唄う『お祭りマンボ』は、次のような末節でしめくくられる。
 ――お祭りすんで日が暮れて、冷たい風の吹く夜は、家を焼かれたおじさんと、へそくり取られたおばさんの、ホンにセツないタメ息ばかり、いくら泣いても返らない、いくら泣いても後の祭りよ――


  これは9年前(1987年1月20日)に刊行した拙著の終章の一文である。
  私は当時、日本人の物質的な価値観に非常な危うさを感じたので警告の意味で書いた。
  なにせ東京の山手線区内の土地価格でアメリカ全土を買えたというから、日本人の物的価値観は完全に狂いつつあったといえる。
  当時が今でいうバブルの頂上だと思っていた私は甘かった。いま振り返ると、当時はバブルの始まりでしかなかった。それからは知ってのごとく日本人はみなが総不動産屋と化したといわれる本格的なバブルが到来し、3年間にわたって日本全土を暴風のように吹き荒れたのである。
  そして今の住専問題に見るように「お祭りマンボ」の末節の歌詞そのものと日本は化してしまったのである。

 (中略)                  [TOP]

  しかし考えるほどにこの世は凄い世界だといえる。
  それは巨大な宙に浮かぶホログラムのごとき玄妙きわまる「浮き世」そのもので、内部ではバーチャル・ホログラフィーによって投影された万象が千変万化しており、あらゆる霊界層から来た人々の想念が錯綜して天国と地獄を創り出しながら蠢き合っている。そのホログラムのような万華鏡を放射し、統御しているものは何ものなのだろう?
  晴れた日は雲の流れる蒼空を、夜は満天に輝く星を仰ぎ眺めてみよう。そこには常識を超えた神々の世界が現実に存在することを、誰でもヒシと感じ取れるだろう。
  ロラン・バルトは、われわれを取り巻く日常の光景そのものが神話だといった。マルチメディアとか情報社会だと狂奔している近代人に、宇宙の壮大さやピラミッドが表現する個性美やスケールの雄大さが理解できるとは思えない。
  誰にでも、必ず死は待っている。自分の真の所有物など何一つ存在しない。どんな名誉も権力も、豪邸も自己の肉体も幻と化して、時の彼方へ消え去っていく。「この世」は無常きわまりないバーチャル・リアリティー(仮想現実)の世界なのである。
  聖書は次のように述べている。
 「富める者が神の国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と。
 「この世」における人々の物質的な価値観は、逆に天国に入るには害になると教えているのである。
 (中略)
  人はみな、体内に金色(神)と黒色(悪魔)の二匹の蛇が住んでいると仏教は教えている。どちらの蛇を愛するのかはあなた次第だが、人は悪いことをすると気が咎める。体内の金色の蛇(人間の仏性・良心)が、そっとあなたに注意を促しているのである。
  良心(神のささやき)を無視する度に、自己の魂は徐々に傷ついていく。学校のイジメで自殺した子供も哀れだが、イジメた加害者の魂は被害者以上に、年を経るごとにスダズタに傷ついてくる。本人はもちろん、家族みなが良心の呵責によって、のたうち回るような人生を体験することになるからである。良心さえないような、地獄から来たような人もいるが、それはもう論外である。
  被害者より、加害者ほど内なる魂(黄金の蛇・良心)が傷つく。これが仏教でいう「因果応報」の原理で、とぐろを巻いた黒色の蛇が黄泉の国で凱歌を上げているわけである。
  スウェデンポルグば、人間界には「三種の自由」があると述べている。
  第一種の自由とは、はじめは人間は両親から受け継いだ遺伝悪によって自分しか愛せない。そして悪への楽しみに駆られて何でも欲し、法律に違反しない限り理性に従っているかのように振る舞って悪を実行する。これが自然(動物)的自由で、このような人間は結局は地獄を選ぶようになる。
  第二種の自由とは、人間は成長すると名誉や利益そのものを愛するようになり、そのため外面からは道徳的な人間のように見える。しかしそれは表面にすぎず、これを合理(仮面)的自由のレベルという。この種の人間は霊界では外面を偽ることができず、内面があからさまに露呈されて結局は地獄を選ばざるをえなくなるというのである。
  第三種の自由とは、人間は一種・二種を経て成長すると、悪を神への罪として避けるようになる。そして神だけを仰ぐように自己変革がなされる。これが霊的自由のレベルである。
  この段階にいたってはじめて人間は心の深部が常に完全に満たされて、自他との調和が乱されることがなくなる。これが本当の人の自由であり、その自由によって霊界では天国を選ぶことができるようになる。
  このレベルまで自己変革するには、行動として外部に現れるだけでなく、自己の内部まで反省する必要がある。
  そこに悪が少しでも見出されたら罪と認め、それと離れることを心から願わねばならない。その気持ちが本人の霊的な精神を開いて、霊的な自由に導かれるとスウェデンポルグは述べている。
  どうやら「あの世」に持っていけるものは自己の「魂」だけであるようだ。今からでも遅くはない。「良心」という神のささやきに常に注意をはらいながら、自己の霊質を高みへ持ち上げることが天国に行く近道だといえる。
 
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