転載記録【創造時代論ベーシック・総集編】生きている「ほんとうのわたし」がいる場所から

  • 2017.04.30 Sunday
  • 06:38

2017年を生きている私たちは、今から何を目にしようとしているんだろう。

私たちはこの「創造時代」に人間として生きて、ドラスティックな歴史の転換を目にしようとしている・・・・・

いいや、違う。

フランス革命を生きた人や、世界大戦を生きた人は、「歴史の中から」歴史が変わっていくのをきっとまざまざと体感したのだろう。

だけど私たちの目の前で未だ針を刻み続けているように見える、この「2017」という数字・年号は、

サッカーのロスタイムよろしく、ドラマ本編終了後の次回予告よろしく、すでに何かが終わった後の時間を、さながら時間の亡霊のごとく刻み続けているに過ぎないのかもしれない。

その列車には、もう私たちの意識は乗っていない。

意識の革命は、潜在意識的にもうすでに開始されていて、

新しい命のヴィジョン、

新しいリアリティのヴィジョン、

新しい「ほんとうの」時間のヴィジョンが、

まるで海の底から上がってくる冷たく新鮮な潮流のように、集合意識を通して、潜在意識を通して、私たちの顕在意識の足の指先に、そろそろ触れようとしている。

「小さいものが寄り集まって、大きなものを作る」という、

至極常識的な物質のルールは、私たちの心の中ではすでに形骸化している。

誰もがもう、それにうんざりしている。

救いの手や、思いやりや、本音の心からの言葉。

誰もが平和のうちに、何もいつわる必要などなく、誰かの友達としてそこに居ること。

そういう繊細で、当たり前に備わった心の機微の中に、

本当の世界があるということに、

もうとっくに、みんなが気づいている。

生まれた命の中に、誰もが当たり前に持っているもの。

買う必要も、教わる必要も、助けてもらう必要もないもの。

なぜなら生きているということは。

肉体を持っているということは。

そのまま、あなたの周りに鮮やかな世界が、空間としてひらけているということだから。

そしてその空間の中に、たくさんの「あなた」が、懐かしい友達の顔をして、確かに住んでいるということだから。

私たちは「物質」じゃない。

だから「物質」をより集めるように「人材」をより集めようなんて、どだい無理な話。

「物質」をつなぎあわせるように、平面上で手を繋がせて、それが「平和」だなんて、全くおかしな話。

私たちは一人一人が世界なのだ。

そのことに心底気づいたなら、手を繋ぐまでもなく、私たちは当たり前につながっている。

そしてそのことに心底気づくには、自分が、自分自身の「ほんとうの位置」に戻るしかないのだ。

♦︎創造時代論ベーシック最終回・総集編

さて、6日連続で語ってきた「創造時代論ベーシック」も、一応今日で一区切り。

今回は今までの内容を、Q&A形式でおさらいしてみようと思います。

ここまでおつきあいいただいた方は、これまでの内容を反芻しながら、

今日初めて見たよ、という方はこれが総まとめですので、さらに詳しく知りたいと思ったら、過去記事をぜひ読んで見てください。

前回までの記事はこちらからどうぞ

↓ ↓ ↓

_____________________

第一回目【創造時代論ベーシック】変わる「五感」と日本文化

第二回目【創造時代論ベーシック?】思いは必ず、事に触れて来る

第三回目【創造時代論ベーシック?】宇宙でいちばんの謎

第四回目【創造時代論ベーシック?】ブラックボックス

第五回目【創造時代論ベーシック?】「わたし」という特別な呼び名

_____________________

それではQ&A行って見ましょう!

Q なぜ物質中心のものの考え方はいけないのか

なぜなら、それは虚構だから。

第二回目(【創造時代論ベーシック?】思いは必ず、事に触れて来る)に書いた通り、

「物質」というのは概念上、ある3Dのかさばりを持っていると認識されています。

そしてそれは、五感の中では「触覚」中心に組み立てられた概念です。

手で触って、「かさばり」を感じている。

しかしよくよく検証してみるならば、触っているのはあくまでも「物質の表面」です。

手指が感じているのは、実は「それ以上先に進入できない」という、「不可知ゾーン」

「かさばり」とは、つまりその内部を感じることができない「ブラックボックス」なのだ。

物質中心にものを考える「小さいものが集まって大きいものができる」ルールとは、「ブラックボックスを集めて積み上げる」ことと全く同じ。

その内部を見れない、触れない、聴けない・・・五感の知覚というリアリティの場に存在していないもの。

それが実は「物質」という概念です。

この物質の本性を突き止めようと、人間は科学で持ってその構造を解き明かそうとしてきました。

つまり、分解して、分解して、「ブラックボックス」の中身を取り出そうとしてきたわけです。

そうして最終的に見えてきたのが素粒子・量子というとんでもない領域だったわけですが、この話はここでは踏み込まないことにしておきます。(私の科学的理解が追いついていないので)

Q 自我とはなにか

物質化された「わたし」のこと。

ブラックボックスの迷宮に閉じ込められてしまった「わたし」と言ってもいい。

当たり前に目の前にひらけている、

五感を通した知覚世界が「わたし」そのものの位置だったのに、

「ブラックボックス」の中身はなんなのか? という妄想に取り憑かれ、想像と願望によってその中身を捏造している状態。

これは、科学が行ってきた「物質」という「ブラックボックス」の中身を取り出そうという試みが、一人の人間の意識に投影されたもの。

この二つは「見えないものを見たい」という欲望から発しているという点で全く同じ行動

さらにいうなら、「見えない神を求める」という宗教活動も全く同じもの。

個人の意識の領域においては、「見えないもの」「ブラックボックス」とは、主に「他者の心」である。

肉体の表面は見えているのに、その中に宿っている(と思われる)心についてはわからない。

わからないから知りたいし、妄想する。

そこからさらに妄想が進んで、「じゃあ自分は相手からどう見えているんだろう」
「こう見えていて欲しい」というように複雑化
していく。

こうして出来上がった、「他人(ブラックボックス)にどう見られるか」という、意識から組み立てられた仮想人格が「自我」である。

この構造の中には、「ほんとうのわたし」も「ほんとうのあなた」も、もはや存在していない。

ただし、こうした想像・妄想なしに「固体化」の次元を体験することはできなかったので、この構造はある意味人間時代の必然でもあった。

しかし、これからはこの仮想的な「自我」が解体されていくときである。

「わたし」の意識が「自我」の迷宮に完全に囚われると、世界との一体感が失われ、自分は肉体というくっきりと輪郭を持った、一個の存在であり、世界とも他人とも関係ない、という感覚が強まる。

反面、「ほんとうのわたし」「ほんとうのあなた」を取り戻したいという、無意識の強い強迫観念も持っているため、
その葛藤が様々な欲望になって人生に現れる。

それらは全て、「ひとつになりたい」という欲望である。
世界と一体だった、本来の状態に戻りたいという切望。

食欲は食べることで外部の世界と一体化する欲。

物欲は所有することによって物と一体化する。

性欲はそのまま、相手の肉体と繋がり一体化する。

名誉欲や、お金に対する欲、人から認められたいという欲も、還元すると「世界から受け入れられ、世界と一体化する」という自我の欲である。

Q 道徳が弱者の復讐とはどういうことか

ニーチェの「ルサンチマン」の概念を言い表したもの。

第5回目の「♦︎道徳とは弱者の復讐である」の項目を参照。

人生を謳歌できないものは、勝者・強者・成功者に対して抱く激しいジェラシーを、相手を「道徳的に」非難することで消化しようとする。

しかしジェラシーを抱いている時点で、実は自分も成功したい、人生を謳歌したいと望んでいることになるので、実はその非難は自分自身が自分の欲求に従って行動することをも一緒に否定してしまう。

ルサンチマンに陥ると、人間は生きる喜びを失う。

前項で示した通り、自我として生きる人間は必ず
「世界と一体化したい、世界に認められたい」という強い欲望を持っている。

それはまさにエゴイスティックな、虚構の中で作られた欲であるのと同時に、「ほんとうのわたし」「ほんとうのあなた」に戻りたいという霊的な希求でもある。

しかし人間は「道徳」の名のもとに、こうした自我の欲求を常に悪しきもの、下劣なものとして抑圧してきました。

性的なものは汚らわしい

お金を欲しがるなんて強欲だ

有名になりたいなんて目立ちたがりのエゴイストだ

表現者になりたいなんて身の程知らずだ

「ルサンチマン」は弱者が強者に抱く憎悪の念ですから、そうした「欲望」を押さえ込んで我慢して、「道徳的な正しさ」に従っている「弱者」こそ、実は成功者たちよりも高尚な人間なのだ、という、ひねくれた優越感をもたらします。

しかし「欲」は、表面上押さえ込んだところで蓄積する一方。

だからこそ、「道徳的に正しくあるべき」とされている人間ほど「抑圧された欲望の暴走」による反動の犯罪や暴力などの危険性が高くなる。

ルサンチマンは、非常に危険なのだ。

同じように、欲を抑え込む一方の「道徳」は非常に危険なものです。

では、ただ自分の欲望に忠実に、快感だけを追って生きればいいのかというと、基本的にはそうなのですが、それだけではただの快楽主義です。

ルサンチマンから脱出する方法として、ニーチェは【積極的ニヒリズム】の重要性を説いています。

Q 積極的ニヒリズムとは何か

ニヒリズムとは、「虚無主義」

人生に生きる価値や意味など何もない、という考え方です。

一見するとただのひどいネガティブにも見えますが、ニーチェの【積極的ニヒリズム】は、虚無主義という言葉から感じられるイメージとは、ある意味で真逆の強烈な躍動するパワーを持っています。

最初に述べた通り、「自我」というのは「物質化されたわたし」のこと。

「物質化されたわたし」とは、
五感の知覚として実際に目の前に見えている景色・空間・風景ではなく、その風景の中の「ブラックボックス」、つまり「虚無」の中に落ち込んでしまった意識のこと。

その意味で、道徳的ルール、法律や国家といった、道徳的社会構造の中で「自我」として70億もの人間が生きている、という現行の人類一般の「世界の認識」とは、全てが虚無によって作られた、虚構だと言うことができます。

例えば、国境は実際には引かれていません(描いているところもありますけどね)。

それは概念の中に引かれています。

つまり(五感的)リアルではなく、(想像的)虚構だということです。

例えばあなたが、誰にも見つからずに万引きに成功したとしましょう。

しかしその後あなたは制服の警官の姿を見るたびにビクビクして、罪悪感に怯えるようになる。

リアルに刑が執行されたわけでも罪が露見したわけでもなく罪悪感が湧くのは、「ルール」が意識の概念の中にセットされているからです。

知覚の世界ではなく、概念の世界に作られているもの。

それが実は、私たちが「社会」だとか「国」だとか「世界」だとか呼んでいるものなのです。

人類の共通概念によって作られた壮大な虚構。
知覚的リアルにはどこにも存在していないものです。

ニーチェはだからこそ、その文脈において「人生には何の意味もない」と言ったのです。

その壮大な虚構、言い換えれば「嘘」を支えているのが「道徳」、そして道徳の論拠である「神」という概念です。

【「神」の名の下に、人間は清く正しく社会のために生きなければならない】

という大嘘を痛烈に批判して、
ニーチェは「神は死んだ」と言ったのです。

社会なんてものはどこにもないじゃないか。

ないものをあるように見せかけて、生の躍動を抑圧し、欲するままに喜びに生きようとする人間を矮小な自我に閉じ込めようとする「道徳」のくだらなさを、ニーチェは批判しました。

ニーチェの「積極的ニヒリズム」とは、このように、「自我的な人生の中に本質は一つもない」ということを、積極的かつ肯定的に受け入れる姿勢のことを言います。

決して厭世的になって快楽主義にズルズル流され、ルサンチマンに飲まれきるだけの「消極的ニヒリズム」のことを言っているのではないので注意。

「積極的ニヒリズム」は、ルサンチマンの跋扈する浮世に軸足を置くことをよしとせず、「ほんとうの生命」が輝くリアリティの場に移動することを目指す、これ以上ないほどアクティブかつ情熱的なものです。

Q︎ 実際に見えているものとは何か

物質や自我、そこから派生する社会という概念がブラックボックスの虚構だとするならば、「実際に見えているもの」は何か?

それは、「空間」と「物質の表面」である。

そこには虚構ではないリアルがある。

そこに見えている「物質の表面」を、

虚構としての物質の一部と見なすのではなく、

「空間」と一体になって空間に色付けをしている、

自分の「記憶」や「感情」だと思って眺めてみてほしい。

ひとつひとつのものに対して、それにまつわる思い出や、そのものの名前や、そこから連想される感情や感覚、記憶が湧き上がってくるはずである。

「じっさいに見えている世界」とは、見ている自分の心そのものである。

迷宮に堕ちた虚構としての自我ではなく、「ほんとうのわたし」がそこに息づいている。

そしてその「空間」の中には、太陽も、月も、はるかかなたの銀河も、映し出されている。

太陽や星も、「ほんとうのわたし」の心なのだ。

創造時代の占星術とは、こうした意味での惑星や星座のエネルギーを取り扱うことを言う。

そして、その感覚のまま、「ほんとうのわたし」としての目の前の空間の中に住んでいる他者を見てみてほしい。

すると、肉体を持つ存在としてあなたの心の中に住んでいるその他者もまた、あなたと同じように宇宙全てを「心の世界」として持っていることが分かる。

そしてその心の世界には、肉体を持った「わたし」が住んでいることになる。

わたしの中に住むあなたと、

あなたの中に住むわたし。

私たちは生まれてこのかた、一人になったことなどない。

さて、この感覚の中で、改めてもう一度、

「わたし」

と自分自身に呼びかけてみてほしい。

できれば目を閉じて、何度も繰り返してみてほしい。

「わたし」
と言う呼びかけが意味している領域を、感じてみてほしい。

「わたし」

と言ったとき、そこに太陽と月と、星々が瞬いているのを感じるだろうか。

「わたし」

と言ったとき、そこに70億の「あなた」が住んでいるのを感じるだろうか。

種々様々な事象・事物を映し出して、しかしそれ自体は永遠に不動の、命の舞台としての空間

「わたし」とは
「あなた」とは

生命の舞台となる永遠の空間の中に、大地と天空を持つもの。

その認識が拓けたとき、わたしたちは虚構の迷宮の中で生産された、さまざまな対立概念が意味を無くしていくのを体感する。

光も闇も。
優も劣も。
善も悪も。

すべて。

♦︎メッセージ

あなたはわたしのガーデンに根付いたひとつの樹だ。

わたしはあなたの音楽の中のひとつのフレーズ。

あなたの中の「わたし」を解放しよう。
それは「あなた」に属するものだから。

わたしの中の「あなた」を抱きしめよう。
それは紛れもなく、「わたし」の一つの姿、
ひとつの角度、
ひと鳴りの倍音、
ひとつの相。

見られるものの世界の中で、あなたの鏡に映るわたしを探し求めて、もう随分長いこと迷宮をさまよってきたけど、

ようやく出口を見つけられそうなんだ。

見つめているわたしの目によって見つめられている世界。

その場所に最初から、あなたは居たんだってこと。

片時も離れることなく、わたしに姿を見せてくれて居たんだってこと。

ようやく分かったんだ。

髪を撫でてくれたこと、
笑ってくれたこと、
声をかけてくれたこと、
わたしと友達になってくれたこと、
わたしと、出会ってくれたこと、
わたしに、存在を与えてくれたこと、

ひとつひとつの思い出が、
そこにまつわるたくさんの想いが、
「もの」の姿をしてわたしの目の前にいつだって居てくれたこと。

なんて呼んだらいいのかわからないけれど、
それを愛と呼んでもいいのかもしれない。

新しく生まれた風を吸い込むとき、あなたのことを思い出すよ。

手のひらに置いた桜の花びらの中に、あの日のときめきが宿っているよ。

カーテンを引くとき、月の光がわたしを未来に運ぶ。

太陽が昇ると細胞が目覚めて、長い長い精神のリレーを、昨日のことのように振り返るよ。

息を吸って、吐いて。
わたしは生きている。

そこにこんなにたくさんの、たくさんの・・・
記憶、想い、愛が

脈動している。
宿っていることに。

迷路から這い出してきて、ようやく今、気がついたんだよ。

だから、今別れてきた人のことは、もう心配しない。

また逢える。きっと。

だってわたしは生きているから。

わたしの生命を成り立たせているのは、紛れもなくわたし以外のすべてだから。

それでようやくわたしは、頭で知っていることを実際に体験するための、旅を始める。

ここから。

生きている、「ほんとうのわたし」がいる場所から。

岡崎直子

※こちらの「創造時代論ベーシック」の連載記事は、ヌーソロジーを基底に考察しています。

_________________

INFORMATION

4月15日(土)・16日(日)開催
【アストロロジー基礎講座】創造時代の占星術

私たちは一人一人の意識の内側に宇宙を持っています。
そこには階層構造があり、星々の魂が息づいています。

自分の意識の広大な構造を知って、星と繋がることは、
創造者として生きるものにとってとても大切な叡智となるでしょう。

バビロニア時代発祥と言われる占星術は、

いわば人類史の始まりと共に生まれた意識哲学。

その本質は、よく知られる「占い」ではなく、
内なる神々や精霊、天使たちとつながって交流するための
不可欠の知恵だったのです。

あなた自身の霊を知るために。
あなたの魂のレシピを知るために。
あなたの人生のシナリオを描くために。

星の叡智はあるのです。

5月13日(土)13:30-19:00
【ライティング講座】言の葉の魔法

ご要望にお応えして、2回目の開催となります。
日本語の精神、言霊の中に宿る魔法について、
その哲学についてレクチャーする特別なONE DAYプログラム。

創造時代の言葉の操り方について、
言霊について学びたい方におすすめいたします。

http://ameblo.jp/crossing-healing/entry-12264114791.html



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